ビルマの竪琴/竹山道雄

 

ビルマの竪琴 (新潮文庫)

ビルマの竪琴 (新潮文庫)

 

 「おーい、水島。一しょに日本にかえろう!」

50年以上も前の作品である。祖母がよく口にする文句で、ビルマの竪琴といえば、上記のセリフは欠かすことができない。冒頭から最後まで、このセリフが本作の中核をなしているといえる。

 

水島上等兵は敗戦後すぐのビルマで仲間たちと共に国に帰るため、あらゆる場面で竪琴を奏でて仲間の危機を助けていく。英軍の捕虜になったのち、まだ戦闘を行っていた日本軍の説得に赴いた水島上等兵はその後帰ってこなかった。水島はどこに行ったのか、仲間たちの帰りを待ち望む気持ちをよそに、水島は何を思って帰ってこないのか。

ことによったら水島はもう死んだのではないかーー、日がたつにしたがって、そういう疑いが誰の胸にもこくなりました。そして、それでけにかえって、水島のことは口にだす者はいなくなりました。みな黙って、このことにはふれなくなりました。そんなときにー(P.71) 

 戦後すぐに発表された本作は、現代とは違った視点で受け止められたことだろうと思う。時代やビルマの資料も不足しているなかで、ここまで細かく風景が浮かぶような生き生きとした人間像を描いた著者には感服せざるをえない。

食うや食わずの時代に、水島の高尚な生き方や哀しい現実が、人びとの胸をついたことだろうと思う。ビルマで亡くなった身内のある人にとっては救われる話であり、その他大勢の読者にとっても生き方を問うものであった。澄んだ水島の言葉がひどく胸にささる。

隊長がここまで読んだとき、綱にとまっていた鸚哥が、また、

ーーああ、やっぱり自分は帰るわけにはいかない!

と叫びました。そして、そのしまいに交ぜたせつない吐息のような声は、胸の底からしみでるようでした。(P.205、206)

 本作が受け入れられた時代と、哀しくも哀しさを正面から受け止める水島の身を割かれながら生きる姿が、読む者の心に人のために生きるとは何かを訴えかけてきます。

わが国は戦争をして、敗けて、くるしんでいます。それはむだな欲をだしたからです。思いあがったあまり、人間としてのもっとも大切なものを忘れたからです。この国の人々のように無気力でともすると酔生夢死するということになっては、それだけではよくないことは明らかです。しかし、われわれも気力はありながら、もっと欲がなくなるようにつとめなくてはならないのではないでしょうか。それでなくては、ただ日本人ばかりではなく、人間全体が、この先もとうてい救われないのではないでしょうか?(P.215) 

 むだな欲、とはなにか。

思いあがり、とはなにか。褪せることなく、本作は50年を経ても名作である。