物語 シンガポールの歴史

 

物語 シンガポールの歴史 (中公新書)

物語 シンガポールの歴史 (中公新書)

 

  シンガポール旅行をキッカケに、シンガポールの歴史を学ぼうと本書を読んだ。シンガポールの成り立ちから現代の政治についてまで網羅されており、シンガポール初心者にぴったりの1冊といえる。

 私自身、シンガポールといえばマリーナベイサンズ、金融、小さい国ぐらいのイメージしかなかった。その状態からも読みやすく、現代シンガポールの歴史的背景がとてもよく分かった。ただ、著者自身が触れているとおり、文化や生活に関しては片手落ちな面が否めない。

序章 シンガポールの曙

19世紀初頭のシンガポールの人口は、150人ほどといわれる。現在560.7万人(2016年)も人口がいる国が200年前には、たった150人しかいなかったというのは非常な驚きである。

シンガポールの開拓は、東インド会社にいるS・ラッフルズによって行われる。

 イギリス東インド会社はインドを植民地化すると、インドを拠点に中国との交易を望んだ。交易ルートは、同社の拠点が置かれたカルカッタを出発し、マラッカ海峡を通過して、南シナ海経由で中国の沿海都市にいたるのが一般的だが、ただ、当時はインドと中国間のノンストップ航海ができず、途中で水や食糧を補給する寄港地を必要とした。それには、マラッカが最適だったが、マラッカは1511年にポルトガルが占領し、その後、1641年にイギリスのライバルであるオランダの手に落ちて、その支配・影響下にあった。(P.7)

シンガポール人は、その後のイギリス植民地支配に対して好意的な意識をもっている。それはイギリスが、本来あった文化を壊したのではなく、150人という未開に近いジャングルを開拓し、国の基礎を築いたことに由来すると考えられる。

 

1章 イギリス植民地時代  1819~1941年

シンガポールが、チャイナ・タウン、リトル・インディアなど様々な民族地区を抱えるキッカケはこの時代にある。

ラッフルズは、アジア人移民に対しては民族別に居住地を指定し、棲み分ける政策を採った。(中略)なぜラッフルズはアジア人移民者に自由に居住地を指定したのだろうか。それは、異なる民族間の争いが起こるのを防ぐこと、多様な民族が社会的に交わることで、イギリス植民地支配への不満が1つになることを懸念したことにあった。(P.20,21)

 

2章 日本による占領時代  1942~45年

日本軍は中国を攻撃した際、中国側の抵抗で苦戦を強いられた一因がシンガポールなどの移民中国人の支援活動にあったと考え、粛清を行った。日本側は処刑による犠牲者は5,000~6,000人と証言し、虐殺を追及する側は4万~5万人ほどと述べている。さらに5000万海峡ドルの献金を強要した。

日本占領の3年8か月は自立意識の覚醒を招いたといわれる。(まだ一部の知識人に限られてはいたが)

 

3章 自立国家の模索    1945~65年

 イギリスの復帰を歓迎する住民。英語教育集団と華語教育集団との共闘による人民行動党の結成し、1959年総選挙でリー・クアンユー率いる人民行動党は勝利する。人民行動党政権が誕生したときの失業率は10%を超えており、雇用創出のため製造業を振興する工業化の後押しがなされた。1957年マレーシアのの独立に伴い、シンガポールの独立も時間の問題となった。水や食糧などをマレーシアに頼るシンガポールは、単独独立ではなくマレーシアの一州になることを望む。1963年シンガポールはマレーシアの一州になり、イギリスの植民地時代は終わりを告げる。しかし、マレーシア中央政府との軋轢により、シンガポールはマレーシアから追放された。

4章 リー・クアンユー時代 1965~90年

5章 ゴー・チャントン時代 1991~2004年

外国人労働者の比率は1990年11.2%から2000年には29.2%に上昇する。注目すべきは、政府が外国人労働者に対して能力別に3つのカテゴリーに待遇と管理を使い分けたことだという。

①建設業、製造業、サービス業で働く月収1800$以下の未熟労働者→メイドは半年ごとに妊娠検査を義務付けられ、妊娠すると強制送還。雇用主は1人5000$の保証金を政府に収め、家族同伴は認められない。彼らの定住によってシンガポール知的水準の低下を恐れた。

②外国企業で働く中間管理職、専門技術者、大学や研究機関などで働く研究者、弁護士、医者、会計士など月収2500$以上→保証金の必要はなく、家族同伴も認められ、シンガポール人との結婚も自由で、永住権を取得することもできる。

③ ①と②の中間で月収1800$以上の看護師や中間技術者を対象としたもの。このうち2500$以上の者のみ家族を同伴できる。

6章 リー・シェンロン時代 2004年~

 

終章 シンガポールとは何か 

シンガポールの特徴は、「国家が社会を創った」ものだという(P.227)。

純化して言えば、アジアで植民地化が本格化した19世紀初頭に、数多くの中国人が東南アジアの小さな島に出稼ぎに来て社会が誕生し、第二次世界大戦後の民族対立のなかで、イギリスの諸制度に倣って国家が創られたのがシンガポールなのである。(P.228)

国内消費の水の約半分をマレーシアから購入しており、中国などに比べて先んじて事業を実施し、秀でた経済活動を行わなければならない立場にある。シンガポールは、水の枯渇、軍事力、経済面での後退をみせたとき、急速な後退が起きてしまうのではないかと思われる。その危機感がリー・クアンユーをして、40年以上にのぼる一党支配体制や優秀な人材を官僚へ取り込む仕組みづくりに駆り立てたのではないかと思わせる。逆にいえば、その小さく資源も人も無い無いづくしだった国がここまでの経済国になったのは、驚くべきことだといえる。国が社会を創った興味深い事例である。

 

数字の羅列など、読みづらい箇所もあるが、シンガポールの歴史・国政・現状を知るためにお勧めの1冊である。