斎藤一人 がんばらなくても、勝手に幸せがやってくる7つの魔法

 

斎藤一人 がんばらなくても、勝手に幸せがやってくる7つの魔法

斎藤一人 がんばらなくても、勝手に幸せがやってくる7つの魔法

 

 ①「しあわせになりたい!」という気持ちを持つ

1日に何度でも、自分のことを、思いっきりほめてあげよう!

②「不幸としあわせの正体を知る」

自信があるフリをする。大切なのは、“自信まんまん”に見せればいい。これが、仕事だろうが、商売だろうが、人生だろうがうまくいくコツ。不幸のビクビクオーラを出さない。完璧にやろうとするより、挑戦しよう。

③「上気元で生きる」

楽しい笑うのではなく、笑っていると楽しくなる。まわりの人が元気になるくらい上気元に。

④「体をいつも上気元にする」

自分の年齢は自分で決めよう!

⑤「あなたの環境を今すぐよくする」

いい部屋というのは、『ムダなものがない部屋』のこと。

⑥「しあわせのバリア」を持つ

笑顔は、しあわせバリアのスーパーウルトラ増強剤!

自分をキレイにするほど、自分を大切にするほど、しあわせバリアが大きくなる!うんとおしゃれして、うんとキレイにして、どんどん磨きをかけよう。

⑦「人をしあわせにする」

いっしょうけんめい仕事をするんじゃ、ダメだ。お金っていうのは、その人の特技が、人の役に立ったときに、はじめてお金になる。だから、「私、いっしょうけんめい仕事をがんばってるんです」って言ってても、あまり豊かになっていないとしたら、それは、まわりの人のお役に立ってないってこと。

みんなに得をさせる生き方をするんだ。

お金はあなたのお役立ち度バロメーター!いっしょうけんめい働こう。

 

人の欠点を探すより、自分をなんとかする。

人によって態度をかえない、のところが心に響いた。

とにかくニコニコして、外部の状況に機嫌を左右されないようにしながら、身の回りをキレイにすることを心にとめておきたい。

ニーチェが京都にやってきた17歳の私に哲学のことを教えてくれた。

 

 分かりやすく読みやすい1冊である。ニーチェだけでなく、キルケゴールショーペンハウアーサルトルハイデガーなど哲学の巨人たちが現代の京都の人の姿を借りて期間限定で主人公と関わっていく話のため、非常に馴染みやすいものだと思う。

「積極的ニヒリストとして……」

「そうだ。人の目を気にして、小鹿のようにぷるぷると怯えるのではなく、積極的に自分と戦うのだ!

 隠れて生きる必要はなく、『人生を危険にさらすのだ!』。怯えるのではなく、自分を否定することなく、何事も挑戦し戦い抜くことで、喜びは掴めるのだ!」

 人生は無意味だから、自由に生きてやれというニーチェの言葉に感じたのは真新しさだった。“人生には、生まれてきたことには必ず意味があるから、大切に生きようね”というような言葉は耳にしたことがあったが、無意味だからこそ、自由に生きるという発想は、いままでの私にいはなかったからだ。(P.72,73 人生を危機にされすのだ) 

 

誰かに見せるための人生ではなく、自分が情熱を燃やせる人生を、私も生きたいと心から思った。(P.132 情熱をもって生きないと、自分の世界は妬みに支配されてしまう)

 

ニーチェは欲望を押し殺さず、積極的に生きて行くべきだと言った。

キルケゴールは、自分にとっての真実が大切だと言った。

ショーペンハウアーは、人生は苦痛で、感性こそが大切だと言った。

3人共、生きることに対して向き合い考え抜いた結果、自分なりの思想を持っていた。

私にとって生きるとはどういうことなのか、私にもいつか自分なりの、誰かに断言出来るような確立した思想を持てるのだろうか。(P.183,184 健康的な乞食の方が病める王よりも幸福であろう) 

 哲学に触れていない人にとっては、面白い話だと思う。同じ生きるとは何かにテーマを絞って、それぞれ近代哲学者の考え方を平易に説明しており、とっかかりやすい。帯にあったとおり、哲学エンターテイメイント小説である。

物語 シンガポールの歴史

 

物語 シンガポールの歴史 (中公新書)

物語 シンガポールの歴史 (中公新書)

 

  シンガポール旅行をキッカケに、シンガポールの歴史を学ぼうと本書を読んだ。シンガポールの成り立ちから現代の政治についてまで網羅されており、シンガポール初心者にぴったりの1冊といえる。

 私自身、シンガポールといえばマリーナベイサンズ、金融、小さい国ぐらいのイメージしかなかった。その状態からも読みやすく、現代シンガポールの歴史的背景がとてもよく分かった。ただ、著者自身が触れているとおり、文化や生活に関しては片手落ちな面が否めない。

序章 シンガポールの曙

19世紀初頭のシンガポールの人口は、150人ほどといわれる。現在560.7万人(2016年)も人口がいる国が200年前には、たった150人しかいなかったというのは非常な驚きである。

シンガポールの開拓は、東インド会社にいるS・ラッフルズによって行われる。

 イギリス東インド会社はインドを植民地化すると、インドを拠点に中国との交易を望んだ。交易ルートは、同社の拠点が置かれたカルカッタを出発し、マラッカ海峡を通過して、南シナ海経由で中国の沿海都市にいたるのが一般的だが、ただ、当時はインドと中国間のノンストップ航海ができず、途中で水や食糧を補給する寄港地を必要とした。それには、マラッカが最適だったが、マラッカは1511年にポルトガルが占領し、その後、1641年にイギリスのライバルであるオランダの手に落ちて、その支配・影響下にあった。(P.7)

シンガポール人は、その後のイギリス植民地支配に対して好意的な意識をもっている。それはイギリスが、本来あった文化を壊したのではなく、150人という未開に近いジャングルを開拓し、国の基礎を築いたことに由来すると考えられる。

 

1章 イギリス植民地時代  1819~1941年

シンガポールが、チャイナ・タウン、リトル・インディアなど様々な民族地区を抱えるキッカケはこの時代にある。

ラッフルズは、アジア人移民に対しては民族別に居住地を指定し、棲み分ける政策を採った。(中略)なぜラッフルズはアジア人移民者に自由に居住地を指定したのだろうか。それは、異なる民族間の争いが起こるのを防ぐこと、多様な民族が社会的に交わることで、イギリス植民地支配への不満が1つになることを懸念したことにあった。(P.20,21)

 

2章 日本による占領時代  1942~45年

日本軍は中国を攻撃した際、中国側の抵抗で苦戦を強いられた一因がシンガポールなどの移民中国人の支援活動にあったと考え、粛清を行った。日本側は処刑による犠牲者は5,000~6,000人と証言し、虐殺を追及する側は4万~5万人ほどと述べている。さらに5000万海峡ドルの献金を強要した。

日本占領の3年8か月は自立意識の覚醒を招いたといわれる。(まだ一部の知識人に限られてはいたが)

 

3章 自立国家の模索    1945~65年

 イギリスの復帰を歓迎する住民。英語教育集団と華語教育集団との共闘による人民行動党の結成し、1959年総選挙でリー・クアンユー率いる人民行動党は勝利する。人民行動党政権が誕生したときの失業率は10%を超えており、雇用創出のため製造業を振興する工業化の後押しがなされた。1957年マレーシアのの独立に伴い、シンガポールの独立も時間の問題となった。水や食糧などをマレーシアに頼るシンガポールは、単独独立ではなくマレーシアの一州になることを望む。1963年シンガポールはマレーシアの一州になり、イギリスの植民地時代は終わりを告げる。しかし、マレーシア中央政府との軋轢により、シンガポールはマレーシアから追放された。

4章 リー・クアンユー時代 1965~90年

5章 ゴー・チャントン時代 1991~2004年

外国人労働者の比率は1990年11.2%から2000年には29.2%に上昇する。注目すべきは、政府が外国人労働者に対して能力別に3つのカテゴリーに待遇と管理を使い分けたことだという。

①建設業、製造業、サービス業で働く月収1800$以下の未熟労働者→メイドは半年ごとに妊娠検査を義務付けられ、妊娠すると強制送還。雇用主は1人5000$の保証金を政府に収め、家族同伴は認められない。彼らの定住によってシンガポール知的水準の低下を恐れた。

②外国企業で働く中間管理職、専門技術者、大学や研究機関などで働く研究者、弁護士、医者、会計士など月収2500$以上→保証金の必要はなく、家族同伴も認められ、シンガポール人との結婚も自由で、永住権を取得することもできる。

③ ①と②の中間で月収1800$以上の看護師や中間技術者を対象としたもの。このうち2500$以上の者のみ家族を同伴できる。

6章 リー・シェンロン時代 2004年~

 

終章 シンガポールとは何か 

シンガポールの特徴は、「国家が社会を創った」ものだという(P.227)。

純化して言えば、アジアで植民地化が本格化した19世紀初頭に、数多くの中国人が東南アジアの小さな島に出稼ぎに来て社会が誕生し、第二次世界大戦後の民族対立のなかで、イギリスの諸制度に倣って国家が創られたのがシンガポールなのである。(P.228)

国内消費の水の約半分をマレーシアから購入しており、中国などに比べて先んじて事業を実施し、秀でた経済活動を行わなければならない立場にある。シンガポールは、水の枯渇、軍事力、経済面での後退をみせたとき、急速な後退が起きてしまうのではないかと思われる。その危機感がリー・クアンユーをして、40年以上にのぼる一党支配体制や優秀な人材を官僚へ取り込む仕組みづくりに駆り立てたのではないかと思わせる。逆にいえば、その小さく資源も人も無い無いづくしだった国がここまでの経済国になったのは、驚くべきことだといえる。国が社会を創った興味深い事例である。

 

数字の羅列など、読みづらい箇所もあるが、シンガポールの歴史・国政・現状を知るためにお勧めの1冊である。

ビルマの竪琴/竹山道雄

 

ビルマの竪琴 (新潮文庫)

ビルマの竪琴 (新潮文庫)

 

 「おーい、水島。一しょに日本にかえろう!」

50年以上も前の作品である。祖母がよく口にする文句で、ビルマの竪琴といえば、上記のセリフは欠かすことができない。冒頭から最後まで、このセリフが本作の中核をなしているといえる。

 

水島上等兵は敗戦後すぐのビルマで仲間たちと共に国に帰るため、あらゆる場面で竪琴を奏でて仲間の危機を助けていく。英軍の捕虜になったのち、まだ戦闘を行っていた日本軍の説得に赴いた水島上等兵はその後帰ってこなかった。水島はどこに行ったのか、仲間たちの帰りを待ち望む気持ちをよそに、水島は何を思って帰ってこないのか。

ことによったら水島はもう死んだのではないかーー、日がたつにしたがって、そういう疑いが誰の胸にもこくなりました。そして、それでけにかえって、水島のことは口にだす者はいなくなりました。みな黙って、このことにはふれなくなりました。そんなときにー(P.71) 

 戦後すぐに発表された本作は、現代とは違った視点で受け止められたことだろうと思う。時代やビルマの資料も不足しているなかで、ここまで細かく風景が浮かぶような生き生きとした人間像を描いた著者には感服せざるをえない。

食うや食わずの時代に、水島の高尚な生き方や哀しい現実が、人びとの胸をついたことだろうと思う。ビルマで亡くなった身内のある人にとっては救われる話であり、その他大勢の読者にとっても生き方を問うものであった。澄んだ水島の言葉がひどく胸にささる。

隊長がここまで読んだとき、綱にとまっていた鸚哥が、また、

ーーああ、やっぱり自分は帰るわけにはいかない!

と叫びました。そして、そのしまいに交ぜたせつない吐息のような声は、胸の底からしみでるようでした。(P.205、206)

 本作が受け入れられた時代と、哀しくも哀しさを正面から受け止める水島の身を割かれながら生きる姿が、読む者の心に人のために生きるとは何かを訴えかけてきます。

わが国は戦争をして、敗けて、くるしんでいます。それはむだな欲をだしたからです。思いあがったあまり、人間としてのもっとも大切なものを忘れたからです。この国の人々のように無気力でともすると酔生夢死するということになっては、それだけではよくないことは明らかです。しかし、われわれも気力はありながら、もっと欲がなくなるようにつとめなくてはならないのではないでしょうか。それでなくては、ただ日本人ばかりではなく、人間全体が、この先もとうてい救われないのではないでしょうか?(P.215) 

 むだな欲、とはなにか。

思いあがり、とはなにか。褪せることなく、本作は50年を経ても名作である。

巨大外資銀行/高杉良

 

巨大外資銀行 (講談社文庫)

巨大外資銀行 (講談社文庫)

 

 舞台は1990年代。実際に起きた外資による債権の詐欺事件、旧日本長期銀行の破たんに伴う異常な契約について描いている。高杉氏は、緻密な取材をもとに銀行から外資に転職したエリートを主人公に日本経済が米系投資銀行に好き放題されていく様を克明に書いていく。

だいたい英文が難解である。

こんなものを見せられても、ヴィクトリア債のクライアントが精読するかどうかきわめて疑わしい。

「ノーリスク・ハイリターンの私募債が存在するなんて、にわかには信じられませんが、マイクは相当なマジシャンなんでしょうねぇ」

「おっしゃるとおりです」

西田は思案顔で腕組みした。

“極秘文書”を一読して、ヤバイと思ったことを山口に伝えるべきかどうか迷ったのだ。(P.306-307)

 憤懣やる方ない想いで蹂躙されていく日本経済を目の当たりにする主人公が生き生きと描かれており、作者の怒りが見えるようである。読者も引きずりこまれるように、外資に好き放題されている日本経済と国の方針に憤りを覚えてくることだろうと思う。

本書の優れている点は、その様子を小難しく描くのではなく、生きた主人公の物語を通して生身の人間によって行われていることだと生生しく描いたところだ。経済と聞いて二の足を踏む読者でも入りこみやすい作品である。それだけ多くの人に、この惨状を知ってもらいたいという作者の思いがあるのだろう。

 

日本経済は、どうなっているのか。素人が知る社会派小説として、とても優れた作品であった。

 

本書は2004年に出版された「小説 ザ・外資」を改題、再編集して2017年に出版されたものである。リーマンショックを含めた続編を書いているという氏のあとがきに、期待を禁じ得ない。

官僚たちの夏/城山三郎

 

官僚たちの夏 (新潮文庫)

官僚たちの夏 (新潮文庫)

 

 ずいぶん前の作品である。30年近く前と知って驚いたが、その仕事の仕方というものは大きく変わっていないようにも思える。

 

この小説は、ミスター通産省と呼ばれた佐橋滋氏がモデルとなっており、主人公の佐橋滋(風越)を中心に作品には田中角栄(田河)や宮澤喜一(矢沢)、強気な風越に押される三木武夫(九鬼)などが登場する。この面子や頭も体力もある官僚たちが、しのぎを削って法案のやりとりや政治的かけひきを行っているところが面白い。

 

この作品は、事前にどの人物が実在した誰なのか分かった状態で読んだほうが絶対面白い。それがないと、何が言いたかったんだとなってしまう可能性も否めない。

 

読み進めていくと、官僚らしくない風越の言動に戸惑いはするものの昭和の香り漂う国政に愛おしさを感じずにはいられない。この時描かれている通産省の仕事は、現代の消費者行政などでも生きており、そう思うと小説とは思えず高度経済成長期の躍動感が生き生きと目の前に広がってくる。

 

話は逸れるが、安倍総理内閣総理大臣秘書官を務めている今井尚哉氏の叔父が、この佐橋(風越)と事務次官の座を争った今井善衛(玉木)だというのが、面白かった。時代は生きている。また、あらためて再読したい作品である。

黒いスイス/福原直樹

 

黒いスイス (新潮新書)

黒いスイス (新潮新書)

 

 スイスの歴史を知りたくて、読み始めた。

永世中立国とは一体どんな政治体制で、歴史があり、思想があるのだろうか。それが手にとったキッカケだった。(実はずっと気になっていた)

 

1.ロマ(ジプシー)の子供を誘拐せよ

驚いたことは、スイスのなかに大きな人種差別が蔓延っていることであった。ロマの子供を親から引き離して“教育”する。

誘拐した公共団体の名前は「青少年のために(プロ・ユベントゥーテ)」という。今でもチューリヒに存在するこの団体は、1926年から1972年まで46年間、ロマ族の子供1000人以上を誘拐して親から引き離し、強制的に精神病院や施設などに入れていたのだ。一部の子供はスイス人家庭に里子に出された。そして子供たちは、成人するまで家庭との接触を一切禁じられていた。(P.13)

成人後も監視するのである。極めて異常な状況に、スイス政府が非を認めて賠償をはじめたのが80年代後半というから恐ろしい。優生学とは、かくも無残なことをするのかと思い知らされる話である。

 

2.「悪魔」のスタンプ

いわゆるJスタンプの話である。スイスが積極的にユダヤ人を区別するために、Jスタンプを押すように圧力をかけたというのである。そして、ユダヤ人の亡命を手助けしたスイス人が、ひどく苦しい生活を強いられたという惨い話であった。

 

しかし、国を国民を守るあまり、そのような政策に出てしまったスイスの政策は、理解できなくもない(できなくもないから恐ろしい)。

 

3.それぞれの戦い 「祖国」と「人道」の狭間

 人道のために戦ったスイス人の物語。だあその行為は、スイスの国益に反すると判断されてしまう。義勇兵に貼られたのは罪人のレッテルだった。国民が一致団結して国防に当たる「国民皆兵」を国是とするスイスは、当時(1936年~スペイン内戦)も今も、国民が外国の軍隊で戦うことを禁じているからである。

 

4.中立国の核計画

さもありなん。20世紀において核の問題は、どこにも付き纏っている。(それは21世紀において暗い影を落としているわけだが)

 

5.理想の国というウソ1 「相互監視」社会

帰化を求める人々の可否を住民投票で決めるというスイス。

写真や短い紹介だけでは人種差別を防ぐことは困難である。 

 

6.理想の国というウソ2 民主主義社会

毒を持って毒を制する。中毒者に対してヘロインを合法的に与えるスイスの話。本書で最も興味深い記述は、下記のものだった。

 ここで考えてしまうのあ、民主主義の「自由」と「義務」ということだ。民主主義といっても、個人の好き放題を許せば、他人の迷惑になってしまう。だからこそ民主主義は一定の義務を個々人に求め、義務を果たさない人間には、懲罰を科しているのだ。

 これをスイスの麻薬政策に当てはめてみよう。中毒者は、勝手に「麻薬」に手を出した人間、即ち市民としての「義務」を怠った人間だ。だがスイスは、彼らに懲罰を科さないばかりか、むしろ彼らの人権を擁護している。義務を怠った人間、誤りを犯した人間を、民主社会はどこまで受け入れるべきか……。スイスの麻薬政策が、「民主主義とは何か」という問題に、一石を投じていることは間違いない。(P.151)

 

7.理想の国というウソ3 「ある政治家との対話」

対外国人政策の行き詰まりを感じる。

大陸ならではの問題でもあるが、難民が押し寄せ、住民の難民への感情が悪化する。紛争が終わったら難民を断固として帰国させるスイスの政策の裏には、今後スイス国民が難民を受け入れなくなることを防ぐことを目的としているという。なんとも矛盾した政策であるが、非情な事態を避けるためにはいたしかたないようにうつる。 

 

8.マネーロンダリング

 スイスといえば、銀行といってもいいほど、国際的にみてもスイスの銀行の存在感や閉鎖性は特筆すべきものがある。しかし、その内情はよく分かっていなかったものだから、大変勉強になった。今まで守秘義務を第一としてきたスイスは、マネーロンダリングにどう対応しているのか。

やはり、急に変わることは困難であるのだろう。しかし、同時に脱税が犯罪でないことに驚いてしまった(ウッカリ脱税に限るが)。だから他国の脱税を受け入れることに対しても寛容であるという。国際的な立場を考えれば、批判を受けて体制が変わりそうなものだが、その体制を変えてしまうと“スイスの銀行”に金が集まらなくなるという苦しい実情がある。

 

いずれも、考えた政策であることは分かるが、なるほど“黒いスイス”である。

国民の閉鎖性と国は国民が運営しているという民主主義の間隔がスイスの背骨であり、同時に苦しさを生んでもいる。この国制から日本が学べるところはあるのか。永世中立国とは、いかなるものであるのか、もっと勉強していきたい。